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2011年3月12日 (土)

東日本大震災から無事帰還

出張族なので「いつかはこうなるのでは?」という危惧が実現してしまった。

3/11(金)東京ビッグサイトでの展示会最終日であった。

知り合いの台湾メーカの人たちと、ホテルサンルート有明1Fの喫茶店でコーヒーした後、展示会見学開始。今年は出展者ではなく、見学者という立場で幾分か気が軽いものであったはずであった。

もともと時間がない中で、同僚と昼飯抜きでブースを廻る。*4時くらいには得意先様から築地で食事のお誘いもあったし。。

仲の良いメーカのブースの前に来たとき、隣のPanasonic社の展示ブースがガシャガシャ言う。最初は、新しい展示方法かと思ったが、目が廻るような悪い気分に。

廻りの人たちが、フリーズしていて、一言もない。女性が騒ぎだし、建物全体が揺れ、シャッターもガシャガシャ音を出し始める。地震だというのは、この時点で理解出来たものの、体が動かない。

時間はどのくらいだろう、結構長くは感じた。揺れも細かいモノではなく、長い周期で揺れてる感じがした。

同僚と、すぐに出るべきと判断(直に展示会は中止しとなった)し、コンビニで食料/飲料を調達して外へ出る。

お台場から大きな黒煙が上がっているのが見えた。

ひょっとして震源が静岡?との危惧もあり、とにかく早く連絡したいがため、空メールを娘に打つと「パパ、大丈夫?」との返信メールで安心する。

帰れない可能性が頭をよぎり、近くのワシントンホテルを取ることにしたが、同僚からここは危険(海抜ゼロ)と判断し、タクシーを拾う(拾えたことがラッキーであった)。

多くの人は駅(りんかい線、ゆりかもめ)に向かうが、とても電車が動いているとは思えない。いつものように、当たり前のごとく駅に向かう心理からの行動なのか。

会社の営業所がある千代田区岩本町に向かう途中には強烈な余震が何回も発生。緊急地震速報メールが結構効果あった。

多くの人が屋外、道路上にでていた。地下鉄も止まっているのだろう。地下鉄駅出口には沢山の人。女性は立っている事ができずに、座り込んでいる。

倒れている高層マンションはないが、隣の建物とぶつかりそうなくらい左右に大きく揺れていた。

タクシーのTVで震源が東北であることを知る。

ホテルの予約のため馬喰町で降りると、タクシーめがけて人が殺到する。怖かった。

東横イン東京日本橋に行き、シングルルームを同僚と押さえる。あっけなく取れた。その後は電話も通じず、ネットも動かず、ホテルを押さえるには、とにかく足を運ぶほうが確実だ。

遅い昼食をホテルロビーで取りながら、明日の移動用新幹線を予約(この時点ではJR東海/エクスプレスカードWeb)は接続が可能でした。

とにかく、迷わずどんどん決めて行動することが大事!同僚からの貴重なアドバイスが結果を産んだ。

歩いて営業所へ入る。

殆どの者が外出中(当たり前だが)。

全員の安易確認を指示(当社には安否確認システムなど無い)。電話が繋がらなくなりはじめたので、メールでのコミュニケーションに切り替える。

・宮城県に出張中の者 得意先様へ避難

・栃木県に出張中の者 得意先様へ避難

・調布から車で戻る者は、既に渋滞で動けない状態

・渋谷の者は、大混乱の中。自宅(調布)へ歩いて帰ることとなった。

・その他の者は何とか自力で、営業所へ戻れそう。

本社からは、業務を中止し帰って良いとの連絡が来るが、帰るスベが無く、取り敢えず営業所内待機を指示した。政府からも職場待機の指示が出ている旨TVで見た。

本社からの指示でTVを撤廃する方針であるが、唯一リアルタイムでの情報源はTVとラジオであった。ネットは意外と遅いし、断片的。TVは、一元的に情報取得が可能。

ビッグサイトには数人の社員が取り残されていることが判明。レスキューのため営業車バンを派遣。渋滞にはまりながらも、社員や得意先様、取引先様をピックアップ。乗車定員は超法規的措置を個人的に実施(スミマセン)。

ビッグサイトでは津波警報に伴い、2階以上に上がるようアナウンスがあったらしいが、多くの人たちがバス停にいたそうで、なんとも危険な話しだ。

近隣への食料買い出し、状況視察/収集には自転車が便利なれど、自転車が無く「しんどい」思いをする。

コンビニでは食料/飲料が無くなり始める。飲料は補充していたが、さすがに食料の補充は難しい。「トイレをお使いください」との緊急張り紙あり。

お店屋さんの店頭では、場所や方角の確認のための人々のやりとりが多く見られた。非常事態時の一体感が感じられる。

得意先様を迎えに出るも場所がわからなくなる。携帯電話で調べようとしても、営業所へ電話しようとしても「しばらく待ってお使いください」との表示で全く利用できず。2台も持っていても、何の役にも立たず(NTTドコモの規制が始まっていた)。携帯が使えないというのは全く困る!

でも、携帯電話で話している人がいた。多分、相手が有線回線を使って掛けてきた電話の着信は可能なのだろう。

本町交番で教えてもらおうと寄るが、順番待ち・・・。「上野はどっち?」「神田はどっち?」そんな質問攻めにお巡りさんもてんてこ舞い。

要は”帰宅難民”が凄いのだ。TVでは新宿や渋谷が出ていたが、ここら辺も凄い。首都高に入れず、下の昭和通り一般道は、車が動けず。その横を歩いて帰る、人、人、人。しっかりとヘルメットをして歩く若いOLに感心する。

23時を過ぎるころには落ち着いてきた。近隣の料理店は結構営業していたので、助かる。意外と繁盛していて、リーマンにはいつもの花金の雰囲気のところもあった(開き直り?)。

得意先様や女性社員にホテルの部屋を提供する。

日が変わり、1時には営業車も帰還。良かった、よかった。

さあ、営業所で寝るか。電気は供給されているのでエアコンはOK、寒くはないが多くの者が寝るには毛布も何もない。製品梱包用のエアマット(俗に言う「プチプチシート」ですね)を二重にして敷くと良い感じです。

およそ4時間仮眠して、5:30に起床。営業所の人たちに引き継ぎして事務所を出る。東京駅まで歩くこと約40分。日銀やCOREDO、三越などを見ながらの早歩き。早いのに沢山人がいました。職場にとどまった人たちでしょうね。

八重洲口のタクシー乗り場は、6時なのに長蛇の列。

そういえば、昨日、京葉線で沢山の女子中高生を見ました。学校が休みだったのかな。友達同士の楽しいレクが暗転、なんでも3万人が足止めされているそうな。ご父兄はさぞ心配なことだろう。こういうとき、子供達だけではしっかりした判断が出来るわけがない。

6:33発こだまに乗り込む。すると一斉に車内の皆さんの携帯(緊急地震速報メール受信)が鳴り始める。脱出まで「もうちょいなのに~」と思うが、実際にはスカで、無事出発。

4時前には長野でもひどい地震があったそうだ。浜松では大きな影響はなし。自笑亭でうどんを食べる。9時過ぎには無事に自宅に到着。

札幌営業所の人が、ビッグサイト泊を経て、羽田にバスで移動中。でもチケットが取れるかはわからない。どこかへ宿泊するか、一旦静岡や名古屋へ移動して、新千歳に飛ぶか・・・・未決定。

それから、宮城や栃木の出張者は、どうやって帰還させるか。まだ未解決事項があるが本社へバトンタッチ。

外出時に社員が、携帯や交通機関に頼らず、目的地方向の把握(移動)/身を守る術をとることの難しさが露呈、今後その準備/対応(本社の対応方法も)に課題を残した。

爆睡から起床して、一筆記す。

とにかく疲れました。。。また寝ま~す。。。

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コメント

こん**は
大変でしたね。ご無事で何よりです。
強い揺れ、大津波、原発と今回の大震災は他人事とは思えません。

こんばんは。

今回こそ「いよいよ来たか!」という思いで、生きた心地がしませんでした。
都心直下型だったらと思うと震えが来ます。確実に日本が崩壊します。

マヤ文明の終末2012年を待たずして、色々と起こっており不気味です。

これを教訓にして、お互いに出来る準備はしておきましょう。Hi

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